インターネット落描きマンが思ったことを綴っていきます

山田太郎氏への票は届いていた、と感じる

オタクの皆さんなら名前を聞いたことがあると思う。

 

約3年前の第24回参議院議員選挙の際、ちょうどこの年から公職選挙法が改正されたことで18歳以上が選挙権を持つことから、若者が選挙へ向かうことの必要性を再度アピールするツイートがTLではバズっていた記憶がある。

それに加えて、若者(特に創作および2次創作を行う人々の)界隈では、反表現規制を訴えていた山田太郎氏の存在および動向が注目されていた記憶がある。

 

この時の選挙の結果としては、山田太郎氏は約29万票という票数を獲得しつつも、参議院議員選挙のシステム上、他の政党では同等数の票を獲得した候補者が当選する中、惜しくも落選という結果であった。

このこと自体をネットマスコミもツイッタラーも取り上げ、「当選はできなかったけれど、主にネットでワンイシューを取り上げて訴えるという点で、29万票も集めることが出来るということを示せたのは、他の政党からは脅威になるだろう」というような意見が多くみられた。

 

その後の話であるけれど、「橋本羽鳥の番組」というバラエティ番組に山田太郎氏が登場したことがある。その時はそれこそ「ネットの力で29万票も集めた候補者」というような登場をしていたけれど、そういった取り上げ方に対して橋本徹元大阪知事からは「確かに票数を集めたとしても、議員として国会に出られなければ何も訴えられない。だとしたら政党選びの点で間違っているんじゃないか」といったような旨を言われていたと記憶している。

私としてもやはり「影響力を示せたとしても、国会内に進めなければ声は届かないんじゃないか」という感覚があり、納得する部分があった。

 

 

そして今日、以下のツイートで山田太郎氏が自民党から立候補することを知る。

https://twitter.com/yoh_takahata/status/1129343334726549504

 

今度こそ入れた票が声に繋がるのではないか、と感じる。

 

確かに、表現規制を進める現政権の自民党から反表現規制の議員が出てくることは意見が合致しない部分があるし、個人的には自民党は「意見を揃えてくる党」だという印象があるので、ワンイシューで推して当選したとしてもそれが反映されないのではないかという疑念はある。

ただ、個人的にはこれが今ある中で現実的な選択肢なのだろうと思うし、山田太郎氏もそうしている部分があると思う。

 

ただ、やはり私たちが出来るのは「選挙権を行使する」ことだと思うので、現状を見返した上で選挙に臨むしか無いのだろう。

 

個人的には参議院議員選挙比例代表という形は、より直接的に自分たちが実現して欲しいことに票を届けることが出来る形式だと感じている。ネット社会の発達によって同じ問題意識を持つ人が多くいることが分かって、その問題意識を国政まで届けようにも、小選挙区制度ではその票数は小さく、故にエルダーな票にかき消されるだけだという印象から「投票なんか行ってもムダ」という感覚が強いが、ワンイシューの票を束ねた形で表現が可能な形式であるためにより「投票に行った」事実の実感が強いと思う。

 

ちなみに、山田太郎氏が反表現規制以外に訴えている「花粉症対策のための杉の手入れ、広葉樹への植え替え」というのは、なかなかワンイシューでありながらも公約数が大きい案件だなぁと興味を持ちますね。

終身雇用制度無くなるって?

 

「経済界は終身雇用なんてもう守れない」

 

 

先日の経団連の中西会長のTVインタビューでの言葉です。

文言自体は「終身雇用があるから正社員を目指して就活頑張ったのに」という人から大きく反論されそうなネガティブな印象を多めに受けますが、このことによって日本の状態が進展(後退)するポジティブな面も見つけられると思います。

経団連と大学が協議した結果として「終身雇用が守れない」というのであれば、守っていては解決出来ない問題点があるということだと思うのですが、その問題点は大きく次の点だと思います。

・人手不足

・産業・就労形態の変化への対応

・大学教育への弊害(新卒一括採用による)

 

 

まず人手不足に関して。

労働人口の確保の点では、「定年の延長」と「リカレント教育」を促進するために「終身雇用制度」がネックになるのだと考えられます。そもそも「定年の延長」は少子高齢化の中で労働人口を得るためには、外国人労働者の雇用の次ぐらいに即効性が高いと思います(実現すればですが)。そこで「定年を75歳まで延長する」ことを考えた時に、働ける期間が長くなるのだから同じ仕事をずっと続けるのではなく、キャリア設計を考える上でも大学で学び直すという選択が取れなければならないと思います。75歳まで働くとして、ただ同じ仕事をあと10年続けるだけでは労働人口は得られたとしても、根本的に成長は出来ないですよね......。いわば社会人になった後でもスキルを得るために大学で学び直し(リカレント)をし、また社会人として戻ってくる。ただし、それだと現在の定年まで雇用する終身雇用の形態をしていては、一旦職を離れるようなことはしづらい。なので「終身雇用は守れない」のだと思います。まぁ、「生涯勉強をし、働く」ということは真の意味で”終身”雇用なのだと思いますが。

 定年75歳について https://www.sankei.com/premium/news/180415/prm1804150002-n1.html

 リカレント教育について https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je18/pdf/p02023.pdf

 

 

続いて産業・就労形態の変化に関して。

これは職の流動性が求められてきていること、つまりアメリカのような「ジョブ型」の働き方が今の時代にはあっていることを考えてだと思います。そもそも現在の終身雇用制度は、高度経済成長期などを経て企業が成長し会社員の面倒を見れるようになったことと、そして働き方に関してある程度テンプレートが出来上がったために形成されてきたのだと思います。よって、終身雇用制度は過去の経済成長の斜方投射の延長線上にあると思います。しかし幾度の不況などを経て日本企業の余裕は無くなり、非正規雇用は拡大し、結果として終身雇用の正規雇用者と非正規雇用者の間で格差が生じることになったと思いますし、特に就職氷河期世代はこの煽りを直に受けてきたのだと思います。「ジョブ型」の就職となれば、「スキルを持つ」人が新卒も中途も関係無く働く機会が得られ、あくまで希望的観測ですがそのような格差を減ずることに繋がるかもしれません。

 

 

そして大学教育への弊害について

現在の新卒一括採用による弊害としては、インターンや卒業研究中に始まる就職活動によって、学生の学業への集中および研究期間の確保が難しくなっている点が挙げられると思います。

確かに新卒一括採用を辞めるかどうかと、終身雇用制度を辞めるかどうかとはその利害だけを考えた場合には別個の問題です。ただし、ここにリカレント教育を積極的に組み込むことを考えた時には、新卒一括採用と終身雇用制度がリカレント教育と相容れないものだと考えられます。この点において、終身雇用は守れないのだと思います。

 

 

個人的には「終身雇用がある」せいで日本経済および日本社会は成長が抑制されている点があると思っていましたので、「終身雇用が守れない」こと自体は「ようやく変化の時が来たか」って感じですが、いずれにせよ楽観視できることでは無いのですよね……。企業が「終身雇用制度の終わり」を免罪符に首切りを実施するかどうかは、企業自体にかかっているとは思いますが、これまで以上に日本企業に不安が募ることは確実だと思います。

ただ、遅かれ早かれ来る転換期でもあると思いますし、本当の意味で教育とは何か、働いてスキルを身に付けるってどういうことなのか、その点を見直す機会にもなると思います。

 

 

上野千鶴子氏の入学式祝辞について思うこと

全文は東京大学のウェブにも掲載されています。

https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html

 

私が読んで思う点は、「女子学生の置かれている現実」を今回の話の趣旨を言うための具体的事象として、前段で示す必要があったのだろうかとはおもいます。

 

話の趣旨としては、「努力が公正に報われない社会がある」ことを指摘し、東京大学という舞台で学ぶ学生はこれまでの頑張りが正当に評価されてきたうえで、その知性を「努力が公正に報われない社会=差別のある状態」の解消へ投資することを考えて欲しい、ということを言いたいように思えます。

 

その「差別がある状態」として、東京大学も例外ではないということを言いたいのかもしれませんが、そのために女子学生の大学進学率等の統計を引き合いに出してくるのはどうなのだろうと思うのです。

 

端的に言ってしまえば、「性差別が無い状態」=「男女分け隔てなく教育が受けられる」=「統計的に大学で教育を受ける男女比率が等しくなる」という論理の下、男女比率が等しくないことから性差別が存在していると主張しているような気がしてなりません。

 

「偏差値競争に男女差はないが、偏差値競争のフィールドに入る前に除外されている(=娘は短大までという親の性差別)」結果、大学進学する女子学生の割合が低いという話の流れに見えますが、フェミニズムの人たちが言う平等というのはそこへテコ入れすることなのでしょうか。

 

個人的には、「平等」は「選択肢」という形で現れるものだと思っています。ある選択をしようとする時、数多くの選択肢が何らかの外的要因等によって阻害された場合、平等という状態が崩されるのだと思っています。ですから、親の性差別によって子供の進学の選択肢が失われるという状況は平等じゃないのかもしれません。しかし、そういった旧時代的な固定観念を無くしていくことは大事だとは思いますが、だとしても、その家庭において子供(娘)が大学進学する権利を剥奪されているとも思いません。もしも経済的な問題が無いとするなら、子供(娘)が大学進学という選択をすることを強く望んだ時、子供の性別に関わらず親としてそれを拒むという状況が現代の日本で根強く存在しているとは私は感じていません。もしかしたらその感覚自体も差別の原因と言われたらそれまでですが。

 

要するに、大学進学の機会自体は男女問わず持っていて、その権利を行使するかしないかだけなのだと私は思うのです。あくまで個々人が行った選択の結果、大学における男女比率が等しくならないという状態になっていて、個々人の選択における選択肢が性差別によって狭められているとは私は思いません。「女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります」といった内容も、最終的には個々人の選択を行う意思の問題なのだと感じます。難しい大学を受けるというより過酷な選択肢も選べるけれど浪人を避けるために受験先を変える、というのもただの個々人の選択の範疇に感じます。それを決定する個々人の意識自体に男女の差異はあまり無いと思います。もしもそこに「浪人した女子生徒を嘲笑う環境」があるのなら性差別なのだと思いますが。

 

確かに今の日本においても、男は仕事で女は家事という状況は一般的に見受けられます。ただ、その選択を強いられているのか自分から選んでいるのか、というのはまた別な問題だと思います。「私は結婚して主婦になって家事をして家庭を支える」という選択を行うことを、女性の社会進出に託けて「女性はそうあることを社会から強要されたのだ」と見なされることの方が問題があると思います。

 

思い立って文字にしてみましたが、自分の考えていることをきちんと整理できていません。ですので書置きとしておきます。

 

デッサンドール買ってみた

少し前、こちらのデッサンドールが話題になっていたので、少々悩んだ挙句買ってみました。

 

3D成形されたそのままの状態で保護材に巻かれて送られてきます。

袋から出した時はこんな感じ。

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組み立てするには、部品をランカーから切り離すためにニッパーが必要。

接着剤とかは必要無いです。

20分ぐらいで組み立てるとこんな感じ。

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個人的にはやっぱり頭が少し大きいかなって感じもする。

まぁ、気になるところは描く時に修正しましょう…

 

この写真をアタリにして、ざっとラフ描いてみる

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下手に自分でおかしなアタリつけるより結構マシ。

 

そのままペン入れしてみました。

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使ってみた感想としては、可動域を確保するためにこのデッサンドールは各関節が2重関節にしてあるのだけれど、実際人間は2重関節じゃないので、外形をそのままなぞって使おうとすると、破綻します。

上の絵で言うと、膝の部分がおかしくなっています。

もともと膝は描くのが得意じゃないので、自力での修正が為されずこういう結果になってしまいました……

あとは、2重関節なので曲げる部分によって「みかけの」腕の長さなどが変わってきてしまいます。なのでポーズ取らせる時に、その辺は意識した方が良いと思います。

 

慣れない構図やポーズなどを描く時、資料画像を探しても良い感じに見つからなかったりするので、デッサンドールがあると結構いろんなポーズ描くことに挑戦する意欲が出てくると思います。

 

うーん、頼らなくても描けたらいいのになぁ……